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証券業界 セールス 編

JPモルガン証券、ゴールドマン・サックス証券やドイツ証券など、名だたる外資系証券会社を渡り歩いてきた、渡邊秀晴氏。実力主義が徹底される金融業界において、どのように仕事と向き合ってきたのか。スポーツに打ち込んだ高校時代や、現在の仕事のやりがい、今後の展望を伺った。

数十億円単位のお金を動かす外資系金融マン
自ら「厳しい道」を進む

ドイツ証券株式会社
株式営業統括部長 兼 日本株式営業部長 兼 グローバル・プライム・ファイナンス営業部長

渡邊 秀晴  (わたなべ ひではる)

1974年 神奈川県生まれ
1993年 神奈川県立 相模原高校卒業
1997年 東京理科大学 工学部 経営工学科卒業
同年 クレディ・リヨネ証券株式会社入社 日本株式営業部配属
(現在のクレディ・アグリコル)
2001年 JPモルガン証券株式会社入社 日本株式営業部配属
    (2002年よりヴァイス・プレジデントに就任)
2006年 ゴールドマン・サックス証券会社入社 日本株式営業部配属
    (2009年よりマネージングディレクターに就任)
2015年 ドイツ証券株式会社入社 株式本部配属
    株式営業統括部長 兼 日本株式営業部長 兼 グローバル・プライム・ファイナンス営業部長
2020年より独立のため、現在準備中

外資系金融マンは、「靴」で情報を集める

「東日本大震災が起きたのは2011年3月11日午後2時46分でした。その瞬間、外に避難したくなったのですが、日本の証券市場が閉まるのは午後3時です。『まだお客様から注文が入るかもしれない、ここで逃げてはいけない』と思い直し、大きく揺れる六本木ヒルズ48階のオフィスで仕事を続けていたことを今も覚えています」

ゴールドマン・サックス証券に在籍していた頃のことを、このように振り返る渡邊。20年以上にわたって、日々変動する株式市場を相手にしながら、金融マンとして邁進してきた。

企業にとって、資金は欠かすことのできない成長エンジンだ。ところが、まだ実績の伴わない新興企業が十分な資金を調達することは簡単なことではない。そうしたとき、資金調達のために企業は株式を発行し、この株式を投資家に買ってもらうことで、必要な資金を得ることができる。

しかし、企業が自ら株式を発行し投資家を見つけることもまた、至難の業。そこで登場するのが渡邊のような証券会社の金融マンだ。渡邊はこれまで、成長性の見込まれる企業と、投資家のそれぞれにアプローチをし、数十億円規模の資金調達を実現させてきた。

「我々が会社の資金調達をお手伝いすることは、そのまま世の中に役立つことだと思っています。風邪薬を開発する会社への投資を実現すれば、風邪で苦しんでいる人が助かります。また、投資をしてもらうのは皆さんの銀行貯金を運用している法人というケースもあるため、この投資から利益が出れば、人々の生活を豊かにすることにもつながります」

渡邊の仕事のフィールドは日本国内にとどまらない。これまで主に扱ってきたのは日本企業の株式だが、海外でビジネス展開をしている日本企業は多く、投資家は世界中にいるからだ。渡邊は、香港やシンガポールなど、投資家のネットワークを訪ねて、積極的に外に出て情報を集めているという。

「自分で納得するまで調べなくては、責任を持って株を勧めることはできません。例えば『あの企業のレストランが人気らしいですよ』とだけ言っても、その企業の良さは伝わらない。そうではなく、『私もレストランに行ってきました。たくさんの人が並んでいて、食事もとても美味しかったです。また行きたいと思っています』と言って気持ちを込めて株を勧めた方が、投資家に納得していただくことができます」

当然ながら、渡邊はデスクでインターネットや新聞などからも情報収集を行う。企業が公開している財務諸表を読み込み、数値的な裏づけもしっかりと確認したうえで、さらに確信を深めるべく現地まで足を運ぶのが渡邊のスタンスだ。

「金融マンにとって大切な仕事は、情報収集と情報伝達です。そのためにパソコンや電話を使うことも多いのですが、なるべく現場に出向いて人に会うことを意識しています。やはり、直接現地に足を運び、話をすることで初めてわかることは少なくありません」

部活も勉強も中途半端にしない

渡邊は、神奈川県で生まれ育ち、県立相模原高校に進学した。伝統ある進学校として知られる同校に通いながら、ハンドボールの部活に打ち込んだという。部活の練習が終わった後に予備校に通う毎日を送っていた。しかし、大学受験が近づく中、部活と勉強の両立に悩んだことがあったという。

「普通は高校3年生になると、春に部活を引退して受験モードに入りますよね。でもうちの部活はなまじ強かったので、インターハイの予選を勝ち進んで7月になっても部活が続いていました。正直、当時の仲間たちと『わざと負けようか?』と話し合ったくらいなのですが、『部活も勉強も中途半端はやめよう!』と皆で言い合い、最後までやりきりました」

その後、ハンドボール部は県大会を勝ち進み、ライバル校にも勝利。県のベスト8を賭けた試合で敗北したが、部のメンバーは、それぞれに達成感を得て本格的な受験勉強へと気持ちをスイッチさせる。

「部活を引退してからは、かなり勉強をしましたね。夏休みには毎日、朝から図書館で勉強をして夜になると予備校に移動。家に帰ってからも夜中まで勉強です。ハンドボール部の仲間とは互いに夜中に電話を掛け合って、『まだ寝るなよ!』と励まし合いながら、頑張っていました」

大学に入学してからの渡邊は、100人を越えるテニスサークルの活動に積極的に取り組んだ。高校時代とは違い、魅力を感じていたのはスポーツそのものではなく、組織のマネジメントだった。

やがて就職活動の時期を迎えた渡邊は、このときに初めて金融業界への興味を持つことになる。

「実は、それまでは金融マンになりたいとは考えていませんでした。ただ、いろいろな職業を調べていると、外資系証券会社の平均年収が高いことに気づきまして(笑)。私はテニスサークルの経験から、将来的には起業をしてマネジメントをしたいと考えていたので、起業資金を得るという意味で外資系証券会社に魅力を感じました。それに、得意科目が数学ということもあり、キチッと数字で答えが出る世界が好きだったので、自分に合っていると思ったんです」

「話がうまい人」よりも「聞き上手」が求められる世界

大学を卒業し、金融業の世界に飛び込んだ渡邊は、仕事の厳しさに直面した。それまで部活や勉強を通じて自身を鍛えてきた渡邊にとっても、最初は苦労の連続だったようだ。

「今まで20年間金融マンを続けることができたのは、先輩や上司が鍛えてくれたからです。取引先への応対が良くないときや、間違えた判断をしたときなど、上司には強く叱られたことを今も覚えています。当時は『厳しい』と思っていましたが、おかげで気をつけて行動できるようになりましたし、失敗しても逃げないで向き合えるようになったと思います」

外資系証券会社の金融マンに求められる能力として、渡邊は、「自分で考える力が必要」と話す。日本国内だけで約4000社、海外に目を向ければ数万社も存在する銘柄から、投資家に勧める株を選び、営業を行う。上司から細かい指示が与えられることはないため、すべては自らの裁量と責任によって進めなくてはならない。

「もう一つ、意外に思われるかもしれませんが、金融マンは『聞き上手』であることも求められます。話が上手な人が合っていると思われがちですが、そうではありません。例えばお客様が短期的な利益を求めているのか、それとも長期的に成長する企業を応援したいと考えているのかといった点をきちんと聞き取れなければ、喜ばれる提案をすることができないからです」

ゴールドマン・サックス証券に在籍していた頃、冒頭でも触れた東日本大震災が起きた。未曾有の大災害を受け、当時政府は復興財源を確保するため、保有するJT株を売り出すことを決めた。その主幹事を務めたのがゴールドマン・サックス証券で、渡邊が担当した。「被災された地域の復興を行うための財源を捻出するためですから、失敗は許されない。この仕事が復興につながるんだと胸に刻んで海外の株式市場と取引をしました。無事目標を達成することができたときは、世の中の役に立てたんだと実感し、金融マンとしてやりがいを感じた瞬間です」

金融マンの仕事は、学び伝えることにある

渡邊はこれまで、クレディ・リヨネ証券、JPモルガン証券、ゴールドマン・サックス証券、ドイツ証券と転職を重ねてきた。その理由について、「厳しい環境に身を置きたかった」と語る。

「もちろん、望めば同じ会社に長くとどまることはできます。でも私は『残ると楽な道を進むことになる』と思い、転職を選んできました。最初のクレディ・リヨネ証券を離れたときは、憧れていた上司や先輩が引退したタイミングでした。上がいなくなれば自由に仕事をすることができますが、私はそれを望んでいなかった。もっと自分を鍛えてもらえる環境を求めて、転職を決めたのです」

JPモルガン証券に在籍していた頃も、渡邊は若くして管理職になりながら、あえて平社員としてゴールドマン・サックスに転職をした。このような経験から培ったのは、困難から逃げず、向き合う姿勢だった。

「金融マンにとって、勧めた株式の価格が下がることほど怖いことはないでしょう。もちろん、心から自信を持てる株式を勧めますが、百発百中で未来を予想することはできません。だから意に反してお客様に損をさせてしまうこともあります。そうしたとき、私はすぐにお客様のもとに出向き、誠心誠意謝罪をするようにしてきました」

困難に直面すると逃げ出したくなるのが人間の心理。だが、そうした気持ちを振り払って顧客と向き合ったことで、渡邊はさらなる信頼を勝ち取ってきた。このような仕事に向き合う姿勢が、渡邊のキャリアを発展させてきたのだ。

「東日本大震災のときも、原発事故を受けて外国人社員の何人かは海外に出ていきましたが、私は逃げずに仕事を続けました。大変な状況でしたが、そのとき、一緒に仕事を続けた仲間は今でも固い結束があります。選択肢が二つあるなら、厳しいほうを選んだほうが、最終的には自分のためです」

このように語る渡邊は、現在独立のために準備を進めている。これまでの金融マンとしての経験を生かし、企業と投資家をつなぐことに加え、自ら見込みのある企業へ投資を行うことも予定している。

独立もまた、渡邊にとっては「厳しい道」を選んだ結果。これまで数多くの企業と関わり、世の中のビジネスを熟知した経験は、きっと独立後も生かされることだろう。最後に渡邊は、「学ぶことの意味」について語る。

「金融マンの仕事は、新しいことを知り、知ったことを伝えていくこと投資先となる上場企業や投資家とのアポイント、情報伝達のために電話を利用。渡邊は毎日3時間程度を投資家との電話に費やし、日本株のセールスを行っている。現在はスマートフォンを使っているため、出先での情報収集にも役立てている。電話パソコンは投資に関連する情報収集・分析のために欠かせないツールだ。インターネットを通じて国内外の株式市場の動向や、企業が公開する決算情報などを確認する。分析した情報を資料にまとめる際にも利用。パソコンの繰り返しです。勉強というと、つい丸暗記をするようなイメージを持ってしまいますが、学ぶことで自分の世界が広がり、選択肢が増えていきます。これはとても楽しい。高校生の皆さんも、ぜひ楽しみながら大いに学んでください」

Q&A

外資系企業はリストラが多いというのは本当ですか?

本当です。実力主義が徹底されているので、リーマンショックなどにより株式市場の景気が悪くなれば、昨日まで一緒に頑張っていた部下をリストラしなくてはならない場面もあります。外資系企業の給料の高さは、責任の重さと引き換えなのだと思います。

一日のスケジュールを教えてください。

朝6時に出社し、午前中は株式市場のチェックや会議、投資家との電話などにあてています。昼は投資家とランチミーティングをすることが多く、午後は会議や投資先企業に関する情報収集の時間です。夜もクライアントとの会食があるため、帰宅するのは午前0時頃です。