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どこの企業にも存在する「広報」という役割。しかし、それがどんな仕事なのかはあまり知られていない。もともとIT部門で働いていた日立製作所の片桐研介さんは、学生の採用活動に携わったのを機に、自ら志望して広報に異動した。そこで暗中模索をしながら、少しずつ結果を出していく。その過程で見出したやりがいとは?
IT部門から広報に転身
未知の仕事に苦悩しつつやりがいを見出した 舞台裏で奔走する仕事

株式会社 日立製作所 グローバルブランドコミュニケーション本部 コーポレート広報部 主任
片桐 研介 (かたぎり けんすけ)
1986
神奈川県横浜市で生まれる
1999
栄光学園入学中学で陸上、高校ではバンド活動に熱中
2005
早稲田大学政治経済学部経済学科入学
音楽サークルでバンド活動を継続
2009
株式会社日立製作所入社アウトソーシング事業部に配属
事業部名はITサービス事業部、IoT・クラウドサービス事業部と変遷
2016
現在のグローバルブランドコミュニケーション本部 コーポレート広報部に異動

その際に裏方として活躍するのが、「広報」。例えば、発表会の前に新商品の開発者から、どういう特徴やストーリーがあるのかなどをヒアリングする。その情報をもとに、何をどう伝えるとメディアが興味を持つのか戦略を立てる。その戦略が当たると、新聞の一面に掲載されたり、ニュース番組で報じられたりする。その報道を見て、「狙いどおりにいった!」と喜びをかみしめるのが広報の醍醐味の一つだ。
日立製作所のグローバルブランドコミュニケーション本部コーポレート広報部で働く片桐研介さんもその一人。
勉強が苦にならず名門校に入学 高校・大学時代はバンド活動に熱中

兄が通っていた塾に通い始めると、もともと得意だった勉強が楽しくなった。やればやるだけ成果が出るのが嬉しく、勉強するのが苦にならなかった。
中学は、受験をして神奈川県の名門中高一貫校・栄光学園に入学。もともと音楽も好きだった片桐さんは、友人の影響でギターを始めた。高校では軽音部に入り、バンド活動にのめり込んだ。他校のバンドと一緒にライブハウスを借りてライブをしたり、学園祭でも演奏したりした。
受験が近づいてくると、同級生たちは予備校に通い始めた。片桐さんも長期休暇中の講習などには参加したが、基本的には自宅で勉強をした。その時は、「俺が意志を強く持って勉強すればいいだけ」と思っていたそうだ。この強気が、裏目に出てしまう。
「予備校に通うとコミュニティができて、みんなで一緒に勉強している感じがありますよね。でも、一人だと自分と向き合わざるを得ない。思うように勉強が進まないと、俺は駄目なやつだって自己嫌悪に陥ったりして、あまりいい環境ではなかったです」
結果的に志望大学には不合格となったが、進学した早稲田大学の政治経済学部は「多様性の高い大学。いろいろな刺激を受けて、自分の人生の中でもとても大切な四年間になりました」と振り返る。
大学でも音楽サークルに加入。同好の士たちと存分に好きな音楽を語り、バンド活動に精を出した。
ITに興味を持ち日立製作所に入社 新人の苦悩を経て課題解決のプロに

「自分が主体的に関与して、手触りのあるものを売りたいと思いました。文系で、そういうモノづくりに近い領域で仕事ができる業界を考えて思い浮かんだのがIT系です」
高校生の時から音楽を通してパソコン操作にも慣れ親しんでいたし、数学が得意だというのも後押しとなった。大学でプログラミングの講義を選択し、自分に向いていると感じた。
IT系に絞り、主だった会社の採用試験をひととおり受けた。いくつかの内定を得たなかで、「ここで働きたい!」と就職を決めたのが、日立製作所だった。
「日立は事業ポートフォリオがとても幅広いんです。その会社のIT部門ならいろいろなところに関われそうだし、そのほうがおもしろいだろうと思いました」
日立製作所は、従業員数が約3万人、グループ全体で35万人を越える巨大企業。主な事業だけでもIT、エネルギー、産業向けサービス、鉄道や家電、医療など多岐にわたる。
2009年に入社し、約一年間の研修を経て片桐さんが配属されたのは、アウトソーシング事業部。これは、内定時に出した希望どおりだった。
「その部署は、お客様のIT部門を一手に請け負うアウトソーシングサービスのスキームを作るような大きい仕事をしたり、一方で小規模な新サービスの企画開発を行ったりする部門でした。一からサービスのデザインに関われそうだなと思って志望しました」
この部署で、片桐さんは社会人としての基礎を叩き込まれた。「どうしたらいいか、考えてみて」と仕事を振られ、無い知識を振り絞って出した案のダメなところを指摘される。その改善に行き詰まり、頭を抱えたところで助け舟が出される。それを繰り返されているうちに、意識が変わっていった。
「お客様からお金をもらって仕事をすることの大変さを実感しましたし、プロとはなにか、正解は与えられるものではなく作られるものだということを学びました」
三年目に入ると、徐々に責任ある仕事を任されるようになった。片桐さんの部署は大所帯ではなく、4~5人でチームを組んで仕事に臨む。顧客と直接やり取りしながら課題を抽出し、その課題を解決するための機能を考案、設計し、テストを経て納品する。その間、自分たちの手を動かしてプログラムを組む。
「例えば、お客さんのIT部門でなにか問題が起きた時に、それを解決するまでの一連の流れを記録するためのソリューションを考えました。これによって、今月どれぐらいの問題が生じて、そのうちのどれを解決したかがレポートとして見える化されるサービスです」
開発は毎回けっして一筋縄ではいかないが、顧客から喜びの声を聞くと、大きな充実感を得たという。
日立の多彩な事業に興味を惹かれて広報部に異動 仕事のやりがいとは?

きっかけは、学生の採用に携わるようになったこと。学生と話をしているうちに、改めて日立の事業の多彩さに気づかされ、また、日立をアピールすることにもやりがいを感じた。そのうちに「せっかく日立に入ったんだから、もっといろいろな業種を見てみたい」と思うようになった。そして、日立のあらゆる部署と連携する広報に興味を持ったのだ。
2016年に異動した当初、仕事の内容も、求められる能力も前の部署とまったく違うことに戸惑った。自分の無力さに、「ただ働きでいい」とさえ思った。
「広報は、日立の事業や伝えたいメッセージを理解している前提で、日立が伝えたいニュースとメディアのニーズをうまく組み合わせてアウトプットに繋げるのが仕事です。これが本当に思ったようにいかなくて」
落ち込む片桐さんの励みになったのは、自分で発信に関わった情報が、大手新聞に掲載されたこと。それは小さな記事だったが、自分の仕事が何百万人の目に触れるという広報の仕事の醍醐味を味わった。
冒頭に記したように、広報は戦略が問われる。ニュースを記した資料をメディアに配布するだけのこともあれば、記事にしてもらうために記者を集めてレクチャーをしたり、大々的に発表会を開くこともある。
「ニュースのわかりやすさや、時流にどれだけ乗っているのかを考えて、記者へのアプローチを考えます」
企業がなにかを発表している映像や記事がメディアに流れる時、その舞台裏では広報の知られざる奔走と奮闘があるのだ。
広報部には16名いて、基本的に毎日情報を発信している。仕事の成果とは別に、片桐さんが楽しみにしているのは「毎日すごい発表に立ち合えること」だという。
「毎日、日立グループのいろいろなジャンルの発表があるのですが、それぞれが何年もかかった研究や事業の成果なんです。その内容について研究者や担当者と話して理解を深めていると、知的好奇心が刺激されます。短い時間で濃厚な情報を頭に詰め込んで、戦略を練って世に送り出す。そのサイクルは、自分にとってすごくエキサイティングですね」