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育児&マタニティ用品メーカー

特にやりたいことがなかった学生時代。就職活動の過程で「赤ちゃんに接するとみんな笑顔になる。そこに貢献したい」と思うようになり、育児用品・マタニティ用品のメーカー、ピジョン株式会社に入社した。商品の企画、開発に携わり、モノづくりの楽しさも実感。やりがいと責任感を胸に、今はマーケティングを担当する。

ニーズに寄り添って作る
育児&マタニティ用品
常に意識しているのは
ママと赤ちゃんの気持ち

ピジョン株式会社 ベビーケア事業本部 販売戦略部マーケティングG

安部 泰弘  (あべ やすひろ)

1986
埼玉県所沢市で生まれる。
車で30分ほどのところに西武球場があり、子どもの頃はよく家族で野球観戦に行った。
1999
埼玉県 私立 西武学園文理中学・高校に入学
2006
「都内より田舎に行きたい。一人暮らしをしたい」
と筑波大学を受験し、合格。
2012
筑波大学大学院数理物質科学研究科を卒業し、
ピジョンに入社。就職活動の際、当時の彼女
(現在の妻)が「こんな会社あるよ」とピジョンを勧めた。
2019
育児用品の開発、商品企画を経て、
哺乳器のマーケティングを担当。

 

日本には、世間一般にあまり知られていない世界シェアトップ企業がいくつもある。その一つが、育児用品、マタニティ用品などを手掛けるピジョンだ。

社名は平和の象徴である鳩を英語で表したもので、創業者の仲田祐一さんが「赤ちゃんの幸せを願い、平和で豊かな社会であってほしい」という願いを込めて、1957年に設立した。

日本国内で哺乳器のシェア約86%を占める同社は、グローバルでも約11%のシェアでトップを走る。ほかにもベビーフードや赤ちゃんのスキンケア、ヘルスケア用品、マタニティウェアなど赤ちゃんとマタニティに特化した商品だけを扱っているニッチな企業だ。

同社では、どのような人が働いているのだろうか?商品の企画、開発を経て、今はベビーケア事業本部販売戦略部マーケティンググループで哺乳器関連商品を担当する安部泰弘さんに話を聞いた。

小学生から目指していた筑波大学へ一浪して合格

安部さんは1986年、埼玉県所沢市で生まれた。父親が塾講師をしていたこともあり、中学受験をして西武学園文理中学・高校に進学した。小学校4年生の時に始めたサッカーが大好きで、中学、高校でもサッカーに打ち込んだ。

両親にすすめられたこともあり、小学生の頃から「筑波大学に行きたい」と思っていた安部さん。大学受験では、第一志望の筑波大は落ちてしまったが、ほかの大学には合格した。それでも筑波大への思いを断ち切れず、浪人させてほしいと両親に頭を下げた。

もともと「勉強は全般的に嫌いで、授業中もちょこちょこ寝ていた」そうだが、浪人中のある出会いによって数学が好きになった。

「予備校で最初に教わった先生に、偏差値60以上を目指すなら教科書をはじめからやり直せって言われたんです。それで数学のⅠ・Aの問題から始めたら、それから難しい問題もどんどん解けるようになって、楽しくなりました」

二度目の挑戦で、筑波大学に合格。フットサルのサークル活動に熱中しながら、一人暮らしをしている自分と友人の部屋を毎日のように行き来して、充実した毎日を過ごした。

大学では「数学だけ勉強しても社会で役に立つのは難しそう」と感じ、物理、化学、生物をまんべんなく学べる応用理工学を専攻。大学院進学後は、数理物質科学研究科で植物や藻類などに含まれる葉緑素の研究をした。その研究で修士号を取得した安部さんがなぜ就職先として、ピジョンを選んだのだろう?

「学生時代は、明確にこれがしたいというのがなかったんですよね。ただ、モノづくりには携わりたかったので、メーカーに絞って就活していました。いくつか内定をもらったなかで、育児用品は商品の幅が広いからいろいろ経験できそうと思ったし、赤ちゃんに接するとみんな笑顔になるから、そこに貢献したいなって」

入社してから5年間、ベビーフード開発に従事

ピジョンでは、商品企画部からあがってきた企画案を具現化するのが開発部で、開発部が完成させた商品を世に送り出すのがマーケティング担当者の仕事になる。

安部さんが最初に配属されたのは、ベビーフードの開発部。赤ちゃん用のおせんべいやクッキーの商品化を担当した。ピジョンは自社工場がないので、製造をしていただく企業と二人三脚で商品を作り上げていく。

まずは原料を取り寄せ、何パターンも試作して、配合を決めていく。赤ちゃんが食べやすいように薄味にして、のどにつかえないよう柔らかくするなどベビーフードは気をつけなければいけないポイントが多い。それらの条件をクリアしたうえで、なおかつおいしさにもこだわったそうだ。「おいしさは数値にできないし、赤ちゃんは自分の意見を言えないですよね。だから、自分が食べたときにおいしいと思えるものを目指していました」

これだ!と自信が持てる食感や味ができてからも、開発は続く。賞味期限どおりに商品が保つのか、圧力や湿度を変えての試験があり、安全性もクリアして最終段階に入ったら、協力してくれるお母さんと赤ちゃんに実際に食べてもらう。その時に見た目や食べた時の反応などについてアンケートを取り、ネガティブな意見があった時は改善する。

ベビーフードの場合、企画案が届いてから商品が出来上がるまで、一年から一年半かかるそうだ。「例えばクッキーを開発するときは、最終段階まで3桁近く試作しました。それを試食し続けるので、いつもお腹がいっぱいで。蒸しパンを開発したときは、お腹にたまってつらかったです(笑)。でも、少しずつ商品になっていく過程に携われますし、楽しい仕事でした」

五年間、開発の仕事をした後、企画と開発の両方に携わるようになった。当初は慣れ親しんだベビーフードを担当していたが、途中からオーラルケアの企画も任されるようになった。

企画する際、これまでにないまったく新しい商品を考える場合もあれば、すでにある商品をリニューアルしたり、改善したりする場合もある。どちらにしても、最初の関門は社内会議。なぜその企画を商品化するべきなのか、部署の同僚や上司に納得してもらう必要があるのだが、気軽に商品化して売れなければ損害になるので、企画を通すのは簡単なことではない。

例えば、安部さんが企画から開発までかかわった赤ちゃん用のパックご飯は、部署内で「白米なんて売れるわけがない」と否定的な意見が大半だった。そこで諦めずに粘ったのは、自信があったからだ。

「いろいろな味のレトルトベビーフードがあるんですが、お母さんたちからアレンジがきくものもほしいという意見がずっとあったんです。ベビー用のレトルトご飯もありますが、レトルト食品特有の匂いがして評判が良くなかった。それなら本当においしい白米を作りたいなと思って、大人用のパックご飯を赤ちゃん用に転用できないかと考えました」

安部さんは、お母さんたちの意見を代弁するだけでなく、どれほどのニーズがあるのか調査にかけて、その数字を説得材料にした。そうして企画が通り、商品化された添加物ゼロのおかゆ風パックご飯は、今も売り上げが好調だという。

オーラルケア部門では、日本で初めて赤ちゃん用の泡のフッ素コート剤を企画し、商品化された。これも、某メーカーが発売した大人用のフッ素コート剤を見て、赤ちゃん用にできないかと考えたもの。お母さんたちのなかには、フッ素自体に「体に良くなさそう」という印象を抱いている人もいるので、正しい情報を伝えつつ、泡にすることで赤ちゃんの歯に少量で広く塗れるようにしたそうだ。

国内外でトップシェア哺乳器を売るマーケティング

2019年からは、哺乳器関連商品のマーケティングを担当している。冒頭に記したように、ピジョンの哺乳器は国内で圧倒的なシェアを誇り、海外でも売り上げを伸ばしている。しかし、一朝一夕で売れるようになったわけではない。

「赤ちゃんがママのおっぱいを口に含んだ時の角度、感触など、世界でもここまで哺乳器の開発に際して赤ちゃんやママのおっぱいのことを研究している会社はないと思います。それが信頼につながっているのではないでしょうか」

このこだわりや品質を広く世に伝え、売り上げにつなげるのがマーケティングの仕事。ゼロからイチを生み出す企画、開発とは勝手が違い、慣れるまでに時間がかかったと振り返る。

「商品のコンセプトやメッセージを、決まった文字数のなかでしっかりと伝わるように表現するのはすごく難しいですね。それがビシッとはまった時はすごい手応えがあるんだろうと思いますが、僕はまだ試行錯誤しているところです」

コロナ禍もあり、マタニティやお母さん、赤ちゃんを取り巻く環境は日々変化している。3人の娘を持つ父親でもある安部さんは、この先の読めない状況のなかで、いかにお客さんに寄り添うかが大切だと考えている。「もし、おかしなものを世に出したら、それは自分の子に出しているのと同じこと。そこはすごく意識していますし、責任感とやりがいを感じています」

Q&A

赤ちゃんを対象にした仕事は楽しい?

赤ちゃんに新商品を使ってもらう機会があって、楽しいです。いつも、言葉を話せない赤ちゃんの気持ちをしっかりと読み取って仕事をしなきゃいけないなと思っています。

学生から社会人になる時の気持ちは?

学生の時は何をしたいのか問われることも多いと思うんですけど、僕は特になくて。なんでもやってみようという気持ちで社会人になって、いい経験をたくさんできました。