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製薬業界 研究者

いま、「再生医療」という新しい治療法の研究開発が世界中で進められている。iPS細胞※などを用いることで、培養皿の中で細胞や組織を作り、患者に移植する治療法だ。この分野を長年リードしてきた大日本住友製薬が、本年4月より住友ファーマと名前を一新し、新たな歴史を切り拓いていく。渡健治さんはiPS細胞を使った再生医療で、治療法の見つからない難病の克服を目指す。世界で初めての研究に挑むことのやりがいとは?
※iPS細胞:皮膚や血液などの細胞から作られる、体中のあらゆる細胞に分化できる性質(多能性)を持つ細胞。2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥先生らが作製に成功し、世界で初めて論文発表した。

iPS細胞から作る新薬で治療法が見つからない病気で苦しむ人々を救う
「再生医療」への挑戦

住友ファーマ株式会社 再生・細胞医薬神戸センター視機能再生グループ 研究員

渡 健治  (わたり けんじ)

1988
福岡県中間市生まれ
2007
福岡県立 東筑高校卒業
バドミントンに熱中しつつ、囲碁にも打ち込む
2011
九州大学 薬学部創薬科学科卒業
卒業後、そのまま大学院へと進学し、
心筋梗塞を研究
2016
九州大学大学院薬学府 創薬科学専攻
博士課程修了
同年 大日本住友製薬株式会社 入社
再生・細胞医薬神戸センターに配属
入社後から現在まで、網膜変性疾患を
対象とした再生医療を研究

 

日々進歩する医療の世界。その中でも大きな注目を集めているのが「再生医療」という新しい治療法だ。再生医療の日本におけるトップランナー企業、住友ファーマの研究者である渡健治さんは、その特徴について次のように語る。

「私たちが研究している再生医療の分野では、細胞そのものを薬とします。iPS細胞やES細胞といった多能性幹細胞から必要な細胞や組織を作り、患部に移植することで、病気や怪我で失われてしまった機能を修復し、元の状態に戻すことができる可能性があるのです」

運動や囲碁に夢中の小中高時代
父の闘病をきっかけに薬の研究の道に

1988年、福岡県中間市に生まれた渡さんは、自分の少年時代を「いろんなことに興味がある子どもでした」と振り返る。バドミントンや水泳など運動をしながら、当時大流行したハイパーヨーヨーにハマったり、中1からは囲碁に夢中になって近所の碁会所に通ったりもした。

一方、数学をはじめとして勉強も得意で「小中高時代のテストで100点を取ることもありました」と語る。高校時代も数学と物理は得意科目で、サイモン・シンが書いた『フェルマーの最終定理』などの数学に関する本を読み漁った。「薬」に関心を最初に抱いたのは、高校に進学してからのことだ。きっかけは、渡さんが中学生のときに父親が脳腫瘍を患い、抗がん剤の副作用に悩んでいた姿を見たことだった。残念ながら父親は渡さんが14歳のときに帰らぬ人となったが、渡さんは父親の闘病を通じて薬のことを調べるうちに、その奥深さを知るようになった。「高校時代に風邪をひいて、風邪薬を飲んだら体が楽になったことがありました。ふと、1グラムもない小さな薬が、体重50キロ以上ある自分の身体を大きく変化させることが不思議に感じたんです」

得意を生かして数学や物理学の道に進むことも考えたが、薬の研究をしたいという気持ちが勝り、九州大学薬学部の創薬科学科に進学することを決意した。九州大学を選んだ理由は、「実家から通えることが決め手になりました」という。

大学入学後、研究室に配属された大学4年生から取り組んだのが心筋梗塞の研究だ。心筋梗塞のメカニズムと新たな治療法を研究するため、実験を繰り返した。実験はうまくいかないことがほとんどだが、仮説どおりの結果が出たときに大きなやりがいを感じた。大学院に進学後も心筋梗塞の研究に励んだ渡さんは、博士号を取得した後にそのまま大学で研究を続けるか、それとも企業に就職し新しい研究をするかで、大いに悩んだという。「研究のおもしろさを知ったことで、大学で研究を続けることも考えたのですが、最終的に就職することに決めました。最先端の研究成果が新薬として実用化されるまでのプロセスを知りたいと考えたことが大きな理由です。また、世の中に近い分野で自らの研究スキルを生かし、社会に貢献したいとも考えました」

治療法のない難病に挑む会社に共感網膜シートをiPS細胞で作る

製薬メーカーを中心に就職活動をしている中で、渡さんは大日本住友製薬(現:住友ファーマ)が「再生医療」の研究に力を入れていることを知った。また、大日本住友製薬(現:住友ファーマ)は以前から「アンメット・メディカル・ニーズ」、すなわち「いまだ治療法が見つかっていない疾患に対する医療ニーズ」の高い病気に注目し、認知症やALS(筋萎縮性側索硬化症)のような精神神経疾患やがんなど、既存の医薬品では十分な治療が難しい疾患の治療薬を研究開発していた。難病の克服に挑む会社の姿勢に共感した渡さんは、入社を決めた。「再生医療は大学で研究してきた心筋梗塞とは大きく異なる分野ですが、心機一転して新たな研究に取り組めることに、ワクワクしました」。

入社後は、神戸にある再生・細胞医薬神戸センターに配属となった。そこから現在まで、渡さんは一貫して眼の網膜変性疾患を対象とした再生医療の研究に取り組む。網膜変性疾患は、神経変性疾患であるパーキンソン病や、事故や怪我によっておこる脊髄損傷とともに、住友ファーマが再生医療の研究開発を手掛ける病気だ。加齢黄斑変性や網膜色素変性といった疾患が含まれるが、いったん発症すると進行を確実に止めたり元の状態に戻したりする治療法がなく、徐々に目が見えなくなる難病である。そのような中、網膜の細胞や組織を移植する再生医療が研究されるようになり、疾患で失われた網膜の機能を取り戻せる可能性があると期待されている。「住友ファーマを含む住友化学グループでは、理化学研究所とともに、患者さんに移植できる網膜をiPS細胞から作る技術を長年にわたって研究してきました。2020年10月に、世界で初めて他人由来のiPS細胞から作られた網膜シート※を患者さんに移植する手術が神戸アイセンター病院で行われました。私たちは、この移植用の網膜シートを製造し、神戸アイセンター病院に提供しました」

現在の研究チームで渡さんが担当するのが、iPS細胞で作った網膜シートの「品質」の研究だ。移植しても安全な高い品質の網膜シートを製造できているか、移植した網膜シートが定着して網膜としての機能を果たすか、最先端の手法を駆使して評価している。「私たちの目標は、患者さんに新しい治療法を届けることです。細胞や組織を作るだけではゴールにたどり着けません。高い倫理観を持ちながら、製造した細胞や組織が安全なものであるか、予期せぬ問題は起こらないか、あらゆる観点から評価を行い、製品として出荷できることを検証しなければなりません」

※網膜シート:網膜が本来もっている層状の構造と同じ構造を持つ、iPS細胞から作った網膜のシート

大きな仕事は一人ではできない志をともにする仲間と歩もう

再生医療の実用化を目指し、網膜シートの品質を研究する以外にも、多くの課題に取り組んでいる。品質検査をする中で得られたデータについて網膜シートの製造を担当するチームと議論したり、網膜シートの最適な保存方法を別のチームと検討したりする日々に、「一つの薬が世に出るまでには、想像よりはるかにたくさんの人が協力しながら働いている」ことを実感した。

そんな日々の仕事の「やりがい」について、渡さんは次のように述べる。「iPS細胞を用いた再生医療は、前例のない新たな治療法です。製品の作り方や品質検査の方法など、一つひとつの課題に対して、誰も『正解』を知りません。再生医療のあるべき姿を手探りしながら、自分たちが新たな『正解』を作ろうとしていることに、非常に大きなやりがいを感じています」

この記事を読む高校生に伝えたいことは? と尋ねると、渡さんは次のように答えた。 「大きな仕事であればあるほど、たくさんの人と協力することが不可欠になります。自分の仕事の意義を専門の異なる人に説明して、理解してもらわなければなりませんし、自分自身も他の人の意見を理解しなければ、全員で協力することはできません。皆さんが将来、世の中に貢献する仕事をしたいと思うなら、自分の能力を磨くことと同時に、多様な意見を理解し尊重することも心がけてください。そして、志をともにする仲間と一緒に切磋琢磨できる場をぜひ見つけてください」

まだ世界で誰も見たことがない、iPS細胞を用いた再生医療の「正解」。渡さんはその「正解」を目指して、今日も研究所で治療薬を待ち望む患者さんのために挑戦を続けている。

Q&A

趣味はなんですか?

マンガの『ヒカルの碁』を読んだのがきっかけで、中学生のときに始めた囲碁です。覚えて間もないときから碁会所で大人と打つようになり、中2のときにはアマ四段の棋力で打っていました。今は碁会所に行く時間もないので、通勤中の電車の中でスマホのアプリで対戦を楽しんでいます。

大学時代に熱中していたことは?

新薬を研究するからには、その内容をわかりやすく伝える技術も必要になるだろうと考え、個別指導の学習塾でアルバイトをしました。最初は人前に立つだけで緊張で手が震えましたが、たくさんの生徒と向き合って教えるうちにプレゼンが苦手でなくなり、今の仕事にも人前で話す力が役立っています。