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2025/04/23
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同志社女子大学の魅力
英語教育に力をいれており多彩な留学制度があります。社会システム学科には「CASE」という英語特別プログラム有ります。また、「多文化共生」「京都学・観光学」「ライフデザイン」「ビジネスマネジメント」「公共政策と法」の5つのコースから、自分の興味に合わせて授業の選択が可能です!
〔Contents〕
0:00 同志社女子大学紹介
1:19 女子大を選ぶ利点は? | 先生インタビュー
1:54 現代こども学科ご紹介
2:21 同志社女子大学を選んだ理由は? | 学生インタビュー
3:12 大学で身につけてほしいこと | 先生インタビュー
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同志社女子大学について
1.基本情報(設置学部、歴史など)
2.特徴的な学び (進学実績)
3.キャンパス情報
4.関連情報、関連動画のご紹介
1.基本情報(設置学部、歴史など)
同志社女子大学には、以下の5つの学部があります。
・学芸学部 学科: 音楽[定員 115 < 演奏75・音楽文化40 >]/ メディア創造 [定員 125] / 国際教養[定員 85] ※計325
・現代社会学部 学科:社会システム[定員 310]/ 現代こども[定員 100] ※計410
・薬学部 学科:医療薬〈6年制〉[定員 125]
・看護学部 学科:看護[定員 90]
・表象文化学部 学科:英語英文[定員 150]/ 日本語日本文[定員 120] ※計270
・生活科学部 学科: 人間生活[定員 90] / 食物栄養科学[定員 140 < 食物科 学60 , 管理栄養士80 > ] ※計230
~同志社女子大学の歴史~
国禁を犯して脱国し、米国において10年間勉学にいそしんだ新島襄は、欧米文化の発展に「キリスト教」と「教育」が深くかかわっていることを確信します。
新島は帰国後の1875(明治8)年、「自由」「自立性」「良心」を尊重する人間を育成するため、同志社英学校(現・同志社大学)を創立します。そして、同志社英学校の開学当初から「社会の発展には女子教育を盛んにすることが不可欠」との考えを持ち、「女子塾」の開設を進めることとなります。
同志社女子大学の起源は、1876年、京都御苑内のJ.D.デイヴィス邸(旧柳原邸、現京都迎賓館の位置)内に開設された「女子塾」にあり、寄宿学校であったことから、「Kioto Home(京都ホーム)」とも呼ばれました。開学当初の生徒数は、12人。「女子塾」では米国人宣教師A.J.スタークウェザーを中心に、新島襄の妻・八重も教鞭を執っています。こうして、京都における最初のキリスト教主義の女子教育が始まりました。キリスト教主義による人材の育成を目指した新島襄と妻・八重。新島は妻を「八重さん」と呼び、対等なパートナーとして接した。新島八重は女子塾で女子教育を担った。女子塾開設の中心になったA.J.スタークウェザー。米国の伝道団体より派遣され、ここで教鞭を執る。その指導は厳格だったが温情にあふれていたという。女子塾は京都御苑内のJ.D.デイヴィス邸(旧柳原邸、現京都迎賓館の位置)に開設された。1877年には「同志社女学校」となり、二條邸跡(現在の今出川キャンパス)に校舎を設けた。女子塾開設当初の生徒は、寄宿生4人を含む計12人だった。1876(明治9)年、J.D.デイヴィス邸(旧柳原邸、現京都迎賓館の位置)に誕生した「女子塾」は、1877年4月に「同志社分校女紅場(にょこうば)」と名称変更します。校長に就任した新島襄は、「良心を手腕に運用する人物の養成」の教育理念を女子教育の分野で展開します。
しかし、女子の才芸知識の開達を通して上記の目的を実現しようとするのに対して、京都府勧業課はそれを子女の勧業授産を要とする女紅場の名称にふさわしくなく、府下人民をまどわすものと学務課に申し立てます。このことから、5カ月後の9月に「同志社女学校」と改称します。
その後、翌年には校舎を上京第十一区今出川通(現・今出川キャンパス)に移転します。
新島の同志社女学校には、日本社会の女子教育の問題を見据え、「女学校生徒に人権を重んずべき事と慷概心を起さしむる事」への期待と、女性たちが「世の改革者、いや、改良者」となることへの希望が込められていました。上京第十一区今出川通(現・今出川キャンパス)に移転後の校舎。米国のキリスト教婦人団体の募金により1878年7月に竣工した。京都で一番古いキリスト教主義女学校で、当初から国際性を備えていた。「同志社女学校」は1912(明治45)年に専門学校令により「同志社女学校専門学部」となり、英文科と家政科が設置されます。教育理念である「国際主義」「リベラル・アーツ」などが示すように、当時より家政科では英語を活用した講義が行われていました。また、英文科の卒業旅行は満州朝鮮で行われていました。 1922(大正11)年には女性初の校長として松田道(みち)が就任。常に生徒の人格を認めて自覚を促す姿に、生徒たちは大いに感化されたといいます。開学当初12人だった生徒は、1927(昭和2)年には高等女学部も含めて1,449人に達するまでになります。その後1930年には、「同志社女子専門学校」と改称。タイプライティングの授業が行われるなど、先駆的な女子専門教育が行われていました。
専門学部発足により順調な発展を続けますが、1930年代の不況と戦時下体制の逆風に向かっていくことになります。第二次世界大戦後の1947(昭和22)年、教育基本法とそれに基づく学校教育法が公布され、6・3・3・4制の学制が発足することになりました。「同志社女子専門学校」はこれを受けて、1949年に「同志社女子大学」となります。初代学長には、E.L.ヒバードが就任。学芸学部のなかに英文学専攻、音楽専攻、食物学専攻の3専攻を設けるかたちでスタートしました。1952年には食物学専攻を家政学専攻へ改称、1965年には3専攻をそれぞれ学科に改組します。また1967年には、家政学科を発展的に解消して家政学部を新設しました。
1986年には田辺キャンパスを開設。同時に開設された短期大学部とともに2キャンパスによる新たな歴史がスタートしました。その後、音楽学科、英文学科(現英語英文学科)、1989年に開設した日本語日本文学科が田辺キャンパス(1999年に京田辺キャンパスに改称)を学びの拠点としました。
2.特徴的な学び
「すまい」「よそおい」「つながり」にかかわる多彩な分野の学びを究め、あらゆる視点から「生活」にアプローチ。各分野の科学的・文化的側面について幅広く学び、「真に豊かな生活」を実現するための知識・技術・感性を養います。
豊富な実習を通して実生活に生きる実践力を育む
本学科には、被服製作実習、調理科学実習、住居デザイン実習、保育学実習などの科目があります。こうした実習を通して、講義で得た知識や考え方を実生活で生かす実践力を育成。また、家庭科教員の免許取得にも実験・実習は不可欠です。
・すまい
住居とそれを取り囲む空間を対象に、快適な住まいに関するさまざまな問題に取り組みま す。
・よそおい
衣服をはじめ、人の外観や身なりを対象に、魅力的な装いに関する問題の真相を明らかに します。
・つながり
家族や地域など、人と人が共にくらし、共に生きるためのつながりを対象に、さまざまな問 題の解決策を探求します。
※カリキュラムはこちらから人間生活学科|生活科学部 | 同志社女子大学 カリキュラムサイト (doshisha.ac.jp)
3.キャンパス情報 ・京田辺キャンパス 〒610-0395 京都府京田辺市興戸
・今出川キャンパス 〒602-0893 京都市上京区今出川通寺町西入
アクセス情報 アクセス :: 同志社女子大学 (doshisha.ac.jp)
4.関連情報、関連動画のご紹介 関連動画 【同志社女子大学】2021秋編 - YouTube 【同志社女子大学】推薦入学試験、はじまる。 - YouTube 【同志社女子大学】施設紹介(京田辺キャンパス) - YouTube 同志社女子大学公式HP 同志社女子大学 (doshisha.ac.jp)
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同志社女子大学は1875年、京都における最初のキリスト教主義の女子教育の場として新島襄によって設立されました。創立以来「キリスト教主義」「国際主義」「リベラル・アーツ」を教育理念に掲げ、社会を変えていく力を持つ女性を育成してきました。高度な専門分野の学びとリベラル・アーツの精神をベースに、学問を越えた幅広い教養を身につけることができる女子総合大学です。6学部11学科の学問領域の中から、夢や興味に直結する専門分野を選び、知性と感性を磨きます。 同志社女子大学設置学部 京田辺キャンパス:学芸学部 現代社会学部 薬学部 看護学部 今出川キャンパス:表象文化学部 生活科学部
学芸学部
東進ハイスクール奈良校
私は高校2年の10月に自ら入りたいと言って東進に入学させてもらいました。当時は決まった志望校もなりたい職業もなく、好きな英語を使って仕事がしたいという希望はありましたが、ただ漠然とこの時期くらいからみんな大学受験にむけて塾に行きだすんだろうなという気持ちだけでした。
部活も週6日あって、特に年末は練習試合と試合の日々でしたが、登校スタンプを一枚分ためたら担任助手が好きなお菓子を買ってくれるという制度のおかげで、どれだけ部活で疲れていても東進に通っていました。しかし3月から本格的に新型コロナウイルスが酷くなり、部活もできず、毎日家に籠る生活が続き、オープンキャンパスもほとんど中止、そんな中で勉強の意義、大学に行く意味、すべてがマイナス思考になり、勉強どころではなくなっていました。小6から絶対ぶれなかった「英語を使って仕事をしたい」という軸も揺らぎ始め、東進にあれだけ通っていたのに、4月に入るとグループ・ミーティングがある日だけ登校したりしていました。小学生から続けていた部活の引退試合も当然の如く無くなり、不完全燃焼でバーンアウトしました。
こんなどん底の時期に担任助手の人と面談をし、そこで自分が思っていたことを全部吐き出しました。担任助手の人はどん底にいた私をプラスの方に引っ張ってくれました。あの時面談していなかったら今の私はいないと思います。それからは自分の気持ちを立て直し、遅れていた受講を進めました。6月からは少しずつ学校も始まり、元の生活に戻り、やっと勉強一本に絞り、志望校のことも大体絞れていました。
しかし8月の終わりに同期や後輩、顧問からの誘いもあり、部活に戻ることになりました。公募推薦が11月にあったので9月の中旬にある代替の引退試合まで部活を続けることは精神的にも体力的にもしんどかったですが、最後まで部活を続けられたことに後悔はないし、あの時誘ってくれたことに感謝しています。公募推薦までの1か月半は、朝の7時半から学校に行き、朝の時間を活用して志望校別単元ジャンル演習を徹底しました。過去問では、担任助手の人に解き方、時間配分のアドバイスをもらい、いかに効率よく解くかを意識しました。お弁当は早弁して、お昼休みは毎日友達と一緒に図書室で勉強して、10分休憩の時間は必ず単語帳を見ていました。自分からお昼休みに勉強しようと言い出すのには勇気がいりましたが、一緒に切磋琢磨しあえる環境が凄く刺激になりました。
何事においても自分から始めることは勇気のいることですが、始めてしまえばあとはやるだけです。自分が周りにいい影響を与えられるようになってくださいという校舎長の言葉を聞いていて良かったです。