住所
〒466-0826 愛知県 名古屋市昭和区 滝川町33 いりなかスクエアビル1F
愛知教育大
109 名
豊橋技術科学大
11 名
名古屋工業大
185 名
愛知県立大
90 名
名古屋市立大
155 名
三重大
240 名
三重県立看護大
18 名
信州大
208 名
公立諏訪東京理科大
20 名
長野大
19 名
長野県立大
17 名
静岡大
233 名
浜松医科大
16 名
静岡県立大
74 名
静岡文化芸術大
25 名
岐阜大
144 名
岐阜薬科大
17 名
昨対+280名
旧七帝大
3,278 名
東京大
802 名
京都大
451 名
北海道大
367 名
東北大
295 名
名古屋大
381 名
大阪大
540 名
九州大
442 名
昨対+858名
国公立大学
15,836 名
私立大学
早慶
4,636 名
早稲田大
2,881 名
慶應義塾大
1,755 名
上理明青立法中
15,871 名
上智大
1,007 名
東京理科大
2,154 名
明治大
3,768 名
青山学院大
1,587 名
立教大
2,018 名
法政大
2,925 名
中央大
2,412 名
関関同立
10,867 名
関西学院大
1,823 名
関西大
2,473 名
同志社大
2,512 名
立命館大
4,059 名
日東駒専
8,000 名
日本大
3,540 名
東洋大
2,450 名
駒澤大
986 名
専修大
1,024 名
学習院大
475 名
国際基督教大
103 名
愛知大
798 名
中京大
942 名
南山大
1,405 名
名城大
1,623 名
合格した先輩たちの体験記(杁中校)
![]() 名古屋大学 |
エッセイみたいになりました・・・僕は高校受験を失敗しました。あの頃はやる気もなくダラダラしていて、第一志望はもちろん、判定AAだった高校にも落ち(過去問0周←そりゃ落ちて当然 (笑))、行く気のなかった、ペンを机で回して受けてたような全くやる気なくたまたま受かった高校に行くことになりました。特進クラスだったのですが、なんと偏差値45。もうびっくり!(当時、通常クラスは40以下)正直、制服を着ている時間が嫌だった(笑)、まあ、そんなこんなで人生のどん底に突き落とされたわけです。(自業自得) だけど、マジで悔しかったんです。こんな自分が嫌だった。人生を変えたっかった。とにかく逆転してやろうと思っていました。全く出来なかった、やる気の起らなかった勉強を、先ずはやってみようと思いました。ですが、当然のことながら上手くいくはずありません。やれるはずがないのです。だってやってこなかったから!!!3時間でも辛い。逃げ出したくなります。(ここ、あざ笑うとこ)だから、先ずはテスト勉強を頑張ろうと思い、テスト前に一夜づけの努力からスタートそしたら、いきなり3位/21人。高校レベルもあるけど、俺って、やればできるじゃんって思いました。ですが、親には、いい大学に行きたいなら、そんな高校なら早く一番になりなさいと言われていました。まあ、そうだよな(読者からすると当たり前)と思いながら、先ずはそこを目指しました。ですが、そんな高校でもやはり一番は凄く、あらゆる努力をしても、勝てそうにありませんでした。(まあ、なんせ元々の積み重ねがなく、そいつは勉強でもバレーでも特待で入っていたが、俺は普通に入っただけで運動能力も...)(テストはずっと2位だったが、模試は半分くらいの8位だった(苦笑)まあ、一年の頃は受験勉強は学校外で単語1200しかやってない...というか、それのアプリをひたすらやってただけだから、そんな結果)でも、そろそろマズいと思っていました。こんなとこですら1位をとれなかったら、また人生終わるって。だから、一回これ以上できないってくらい勉強したんです。(今から見れば通常量より少ない)そしたら、あっさり一位がとれました。あれ?って感じでした。なんだ、敵わないと誤解してただけか・・・。それからは、何故か一位が取れる”気”がしたんです。(正直、気持ちが何事においても一番重要だということが伝えたいだけ)思いは的中。それなりの努力で一位を維持することが出来るようになりました。(なんだ、アイツたいしたことなかったんだ)そう、たいしたことなんかなかったんです。それからは、模試のほうも順調に上がって行きました。それで、地元有名国公立の名大を絶対に合格すると決めたのはこの頃(二年半ば)だったかもしれない、(正確には覚えてなく、もっと早い一年の頃だったかも―とにかく、早いうちに志望校を決めたから、受かったと思う。)無論、こんな高校だからアイツも名大はC判定が最高で、(ちなみに、そいつは元々名大志望でなく、見学に行ってよかったという名工大に推薦で受かって行きました。普通にすごい)俺は一年時Dが最高で、二年は、最初ずっとDだった。だが、もう、模試でも一位が当たり前になっていた二年半ば後期には、高校内を見ていたら落ちるのはわかっていたので、ライバルとなる中高一貫校や有名公立高校(名古屋は公立が強い)の奴らのことを考え出していた。奴らは、俺が怠けていた一年時にも、勉強を熱心にしていたから、こんな高校の俺が勝つにはやるしかないと燃えていたある日一通のチラシが入ってきた。”冬季東進受講三講座無料招待”―そう、運命の出会いである。(やっとこれからが東進の内容です。(笑))なに?無料だと!行かなきゃ損じゃん!すぐに、親は了承。(ありがたい)早速やることに。(よくある話だが、目標を決めてしまうと、それを叶えるためのチャンスが訪れるという。)先ずは学力診断テスト。英語97国語112数学1a602b26(ワロス)それで、講習をしているときに校舎長から勧誘がきた。東進はカリキュラムがほかの塾とは違ってなんやかんや。 ですが、聞いて分かったのは、俺は受かるためにはこれしかない。と。親に”やる気”を伝えると、在学奨学生にもなったしokだと。(ホントに感謝、後でこの金は返す)こうして俺の東進人生が始まった。先ずは高校対応数学2bから(学力診断の結果からその理由がわかると思うが・・・)まあ、でも正直簡単だったのでやらなくてよかった(笑)(というのも、学校で習い終えてなかっただけだったから) まあ、とにかく東進生活がスタートしたわけだが、みんなもらっていると思うが、受講プランを見て、とにかくそれを終えることに必死になった。自分はなんせ学校が特進クラスで、授業が8、9現、土曜日も昼まであるので時間がない(今思えば、むしろそれがラッキーであった。人間、余裕があるとすぐ逃げる方向に行くが、やるしかなかったからやるしかなかったからだ。)。だからとにかくやらなきゃいけない。というかそうしないと終わらない。でも、本気で受かりたかったから、この”気持ち”があったから、今まで5時間でも辛かった勉強であったが、そんなことどーでもよく、ひたすらに、平日は一個か二個が限界だったから日曜は多くて9コマの受講を続けた。(わかるところはとばして、雑談もとばして―授業の半分とばすことも―確テ終テは確実に一回で)そんなこんなで二年全統マーク模試で7割八分でB判定。全統高2記述模試でA判定をとった。(全統記述は三年は一度逃しただけで後みんなA、最終名大模試もA-自慢がしたいのではなく、やるしかなく、やっていたら高校なんか、というか過去なんか関係ないということだ。だから、逃げることはある。二度の失恋で鬱気味で一週間勉強できなかった時もあるが、それでも逃げたことなんて、過去なんてどーでもいい。今、この一瞬一瞬に全力を注ぎ、最後まで諦めなかった奴が合格する。そう、諦めない”気持ち”である。いくら実力があっても気持ちがなけりゃ落ちる。とにかくメンタルが大事なんだ)そう、やるしかなく、やっていたら、いつの間にか全く習っていない物理も数Ⅲも化学も三年の5月までに終わり(意識していた中高一貫校に少し負けたくらいで終わった)校舎内の有名公立の奴らが、プランに間に合わずに焦っている中、受講プランより2か月早い6月に予定していた全ての受講が終わった。(そう、あいつらもたいしたことなかった。(笑)―こう思えたのも大きい(気持ち)まあ、みんな難しいのやってたから理解が遅れただけだと思うけど苦笑)それにしても今だと謎であるが、理科はスタンダードであったものの、習っていることを前提として授業が進んでいたのに、高校対応の時と変わらないスピードで理解し、終わらせることができた。(やはり、”気持ち”で何とかなったんだろう。ずっと火事場の馬鹿力が発動してた(笑))まあ、ホント”気持ち”で合格したとしか言いようがないと思う。逆に、センター前に校舎内で医学部や京大を目指している奴がいた中センター模試一位だったことをたまたま知り、”気持ち”が少し緩んだせいか、本番ではそこから、70点近く下がりセンターおおこけ。1aは学力診断より低い(笑)それども、気持ちで押し切って2bは4倍弱とったけど(笑)だが、そこで諦めなかったから、そこからも頑張り、そう、やってしまったことはやってしまったことで、反省なんかいらない。反省してる暇があるなら変われ。やれ。ってな感じで努力し、最後は東大や京大の問題も簡単に思えるくらいまで実力を伸ばし(まあ、今年、どの塾でも数学も物理も東大や京大より名大が難い評価を受けていて笑ったが)ちゃんと合格をすることが出来た。そう、今年の名古屋大の物理は難しく、3割ないくらいの出来だと思うが、そこでも”諦めず”、逆に物理は捨て、化学に時間をさいて、多分8割くらいとれたから、、数学も思うようにいかず、もう落ちたと諦めかけたが、次の国語の試験まで、一瞬一瞬を大切にすることが大切だと思ったから、国語の勉強も最後の最後までして、多分本番8割か9割くらいとれたから受かったんだと思う。だから、何度も何度も言うが気持ちが一番大切なんだ。早いうちに第一志望をきめ、絶対に受かる。なにがなんでも行く。自分がその大学の学生でない未来では自分は存在できないくらいまで思ってしまうことだ。そうすれば、身体も物事も勝手に動く。そして、その合格に必要なことが現れてくる。どういう原理かわからないがチャンスが舞い降りてくる。あと、周りの奴ら全員たいしたことないから(無論俺自身もたいしたことない)そりゃ凄いと思うけど理三にいくやつもたいしたことないから(大したことあると思うけど、敵わないと思ったら、そこで、負けを認めてしまったということになる。つまり、一生そいつには勝てなくなる。というか、そいつのコントロール下になるから、自分の人生を生きたかったらみんな、たいしてことないと思うことだ。(むっちゃ偉そうなこと言うけど))まあ、皆の健闘を祈る。(長文最後まで読んでくれてありがとうございます。!!!) |
![]() 早稲田大学 |
夢だった早稲田大学に合格することができて本当に嬉しいです!私は入塾してすぐの頃はなかなか塾に行かず、講座もためてばかりでしたが、担任助手の先生に声をかけていただいたり、サボった時には電話もしていただいて、塾に行く習慣をつけることができました。東進の担任助手の先生は年が近いこともあって話しやすく、志望校についてなど色々な相談にのっていただきました。私の性格を理解してアドバイスをくださるので、担任助手の先生と話した後はいつもやる気がでました。担任助手の先生方は勉強面だけでなく、人間として尊敬できる方ばかりで、頑張って大学にはいってあんな風になりたい!という気持ちが大きなモチベーションになりました。また、漠然と、どこも受からないと不安になった時に、抽象的に精神論で励ますのではなく、具体的なデータと私の成績を比較して、「ここまでできているからこの大学は大丈夫」「ここができるようになったらこの大学も射程圏内だから頑張ろう」と励ましてくださったのが心強かったです。これは、多くの実績がある東進だからこそできることだと思います。グループミーティングでできた他校の友達にも大きな刺激を得ました。私がついうとうとしている時でもずっと机にむかってペンを動かし続ける友達を見て、私も頑張らないと!と思えました。週1のグループミーティングで友達と話せるのが幸せで、いい息抜きにもなりました。私は早稲田大学で法学を学び、法務省に入り、法制度整備支援を通して、発展途上国に貢献したいです。法整備支援には法律の知識だけでなく、相手国の文化の理解が不可欠です。相手国の実情に寄り添って法整備支援を行う、それが私の理想の自分であり、私のイメージする「独立自尊の社会・世界に貢献する人財」です。大学入学で満足することなく、これからも努力していきたいです。 |
![]() 上智大学 |
まず初めに、私は高校2年生の5月に東進八事校に入学しました。東進の利点というものは授業の質という面ももちろんそうですが、授業開始の時間が決まってなく、いつでも好きな時に授業を受けられるということです。私はほぼ毎日部活がありましたが、これなら通えると思い、数ある塾の中で東進を選びました。そこで私は入学した際、30分でもいいからできる限り毎日通うという目標を掲げ勉強に励みました。そして夏休みは、私は文化祭の有志活動でダンスをする予定だったので午前中はダンスの練習、午後は部活、そして夕方からは東進というとてもハードな毎日でしたがこのサイクルはなるべく崩さないように努力しました。とても辛かったけれど、今思うととても充実した毎日を送れていたのでいい思い出です。そしてその後も努力を続け、高校三年生になると諸事情があり東進八事校から東進杁中校に転校しました。勉強する環境が突然変わるので多少不安はありましたが杁中校の先生方はとても親切で気さくに話しかけてくださり、すぐ慣れることができました。そして高3の夏休みごろ進路に悩んでいた際に学校の先生との面談で公募制推薦入試を利用することに決めました。公募制推薦入試のデメリットは一般入試の勉強と公募制推薦入試の勉強とを両立しなければならないということです。その両立はとても難しく、両方とも中途半端になり結局どこも受からなかったとなる可能性があるので頭を悩ませていました。そこで塾長である大久保先生に相談したところ両方中途半端にやっても受からないから公募推薦の勉強に集中した方がいいと言われ、その言葉のおかげで決断することができ上智大学に合格することができたので塾長にはとても感謝しています。あともちろん高3の夏休みや土日などは毎日開校の10分前には東進に着くようにして夜10時まで勉強していました。この生活をずっと続けてるとだんだん慣れて苦ではなくなってくるので後輩の皆さんはこの習慣をなるべく早くつけるようにしましょう。 |
![]() 専修大学 |
受験勉強は塾ですべてを勉強するわけではありません。僕は高校三年の秋まで受験勉強を塾でしかやりませんでした。学校での勉強を全くと言っていいほどやりませんでした。そんなんでは、第一志望校に受かるわけがありません。僕の通っていた高校では11月にはほとんどの授業が自習になっていました。さすがにその頃になると学校でも勉強をし始めます。それでやっと一日10時間くらいの勉強時間です。しかし、11月頃から10時間以上の勉強をしてもほとんど間に合いません。僕は間に合いませんでした。高三の10月まで塾での3時間程度の勉強では圧倒的に足りません。当たり前です。学校での授業に無駄なものなどありません。塾でやったことが100%身につくわけではありません。学校でも塾でも全力で勉強するしかありません。頑張ってください。 |