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2025/03/17
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「柔道の父」であり日本初の国際オリンピック大会(IOC)委員として活躍した嘉納治五郎の言葉です。
1860年、兵庫県神戸市で運輸業を営む嘉納治朗作と定子の間に生まれた治五郎。家庭は裕福でしたが、ある悩みがありました。それは、身長が低く、小柄なこと。いじめにあっていた治五郎は、自分の不甲斐なさに苦しんでいました。
そんな時、出会ったのが柔術でした。体格に恵まれていない自分でも強くなることができる、と希望を抱いた治五郎は、1873年、育英義塾に入塾すると、修業に没頭しました。そして、あっという間に他の生徒を抜いて優秀な成績を収めると、文明開化を迎えていた当時、古い武術として軽視されていた柔術を復古させるため、独学でさらに深く柔術について学びました。
治五郎は最初、「人に勝つ強さ」を手に入れるために柔術に興味を持ったのかもしれません。しかし、次第に柔術にのめり込んでいったのは、「自分に勝つ強さ」を追求するようになったからです。
その後、柔術の合理化と体系化によって新たに柔道を生み出すと、国際オリンピック委員会委員や大日本体育協会(現日本スポーツ協会)の初代会長を務め、日本のみならず世界各国に柔道を広めました。
文明開化後の日本で忘れ去られていた柔術を柔道として復活させ、世界に広めた嘉納治五郎。「人に勝つより自分に勝て」。この言葉は、彼が幼少期から自分の弱さにもがき苦しみながらも、何事にも屈することなく、柔術を通して自らの道を切り開いていったように、苦しむあなたの背中を押してくれることでしょう。
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嘉納治五郎
嘉納 治五郎(かのう じごろう、1860年12月10日〈万延元年10月28日〉 - 1938年〈昭和13年〉05月04日)は、日本の柔道家、教育者である。兵庫県出身。
(wikipediaより一部抜粋)
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