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2024/11/21
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この言葉は、小説「お目出たきひと」や戯曲「その妹」などで知られる日本を代表する作家である武者小路実篤の言葉です。
1885年に現在の東京都千代田区に生まれた武者小路実篤は、1910年には友人であった志賀直哉らとともに雑誌「白樺」創刊し、以後約60年にわたって文学活動を続けていくことになります。これにちなんで彼らは「白樺派」と呼ばれるようになり、実篤はその思想的支柱となりました。
1918年には「新しき村」を創設し、理想社会の実現に向けて、実践活動にも取り組みました。また、「白樺」では美術館建設を計画し、1936年の欧米旅行では各地の美術館を訪ねるなど、美術にも関心が深く、多く評論を著しています。
自らも40歳頃から絵筆をとり、人々に親しまれている独特の画風で、多くの作品を描きました。実篤はその生涯を通じて、文学はもとより、美術、演劇、思想と幅広い分野で活動し、語り尽くせぬ業績を残したのです。
「いかなる時も」前に一歩踏み出すことが大事だと実篤は言います。それはピンチな時なだけでなく、成功した時を含めた「いかなる時」というのが重要です。今という一瞬がどれだけ大事かを実篤は説いています。今が一番大事だと思って、後回しにせず今一歩踏みだすことが大事なのです。
「明日やろうは馬鹿野郎」という言葉もあるように、今踏み出す一歩が積み重なって私たちの未来は形作られていくのかもしれませんね。
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武者小路実篤
武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、1885年(明治18年)05月12日 - 1976年(昭和51年)04月09日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。華族の出で、トルストイに傾倒し、『白樺』創刊に参加。天衣無縫の文体で人道主義文学を創造し、「新しき村」を建設して実践運動を行った。伝記や美術論も数多い。
(wikipediaより一部抜粋)
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