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2023/11/29
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明治から昭和前期のジャーナリスト・歴史家・政治家、竹越与三郎の名言です。
竹越は、慶應義塾で学んだ後、『六合雑誌』や『国民之友』などに精力的に寄稿し、記者として名を馳せました。そして、『大阪公論』社で編集にも関わる主力記者となります。
また、宮内省臨時帝室編修局御用掛・編修官長として『明治天皇紀』編纂に携わった他、『新日本史』『二千五百年史』などの数々の代表作を残しました。
竹越の経歴は記者だけに留まりません。師と仰いでいた陸奥宗光の紹介で西園寺公望と出会い、政治の世界へと入ります。西園寺の側近として秘書的な役割を果たし、第三次伊藤博文内閣で西園寺が文部大臣に就任したことで、竹越も勅任参事官兼秘書官に任命されました。その後は、欧州視察を経て、立憲政友会から5回当選しています。
ジャーナリスト・政治家として、幅広く活躍した竹越与三郎。
学生時代から時事新報社で新聞の執筆を行い、群馬高崎教会にて英語塾を開くなど、若いころから経験を積んだからこそ、様々な功績を残すことができたのでしょう。
青春・若い時代の経験は、ただの思い出ではなく、必ずその後の人生に繋がります。失敗も成功も含めた多くの経験が、あなたを形作るものになるはずです。
今の経験すべてが、来るべき結実の秋への準備だと思って、何事にも前向きに取り組んでいきたいですね。
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竹越与三郎
竹越 與三郎(たけこし よさぶろう、慶応元年10月05日(1865年11月22日) - 昭和25年(1950年)01月12日))は、日本の明治から戦前昭和にかけての歴史学者・思想史家・殖民学者・政治家。衆議院議員・枢密顧問官・貴族院勅選議員・宮内省臨時帝室編修局御用掛、同編修官長などを歴任し、戦後に公職追放指定を受け、一切の職を辞任。位階は正三位、勲等は勲一等。号は三叉(さんさ)。
(wikipediaより一部抜粋)
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