【東進で楽しく3週間の定期テスト対策!】1学期 中間対策特訓講座
2024/05/01
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のちの津田塾大学を設立し、日本での女子教育の先駆者と称される津田梅子の言葉です。
梅子は「岩倉使節団」の一員として渡米しました。岩倉使節団は不平等条約の改正交渉、そして官僚や留学生による欧米諸国の制度や産業、文化の調査、研究を目的として行われた、政府主導の使節団です。梅子は最年少6歳でこの留学に挑みます。一緒に渡った5人のうち2人は途中で帰国しますが、梅子含む残った3人は11年にもわたる留学生活を全うしました。
アメリカでは私立の女学校で英文学のほかフランス語やラテン語、心理学、自然科学などを学び、17歳で卒業し帰国。英語は堪能でしたが、日本語は不自由だった梅子に仕事が与えられることはなく、日本に居心地の悪さを感じていました。その上、日本における女性の地位の低さに衝撃を受けます。何度か縁談がありましたが、一生結婚はしないと誓ったようです。
通訳、家庭教師を経て華族女学校の英語教師となりますが、24歳で再び渡米。大学や師範学校で学び、女性の地位向上のためには専門的な知識、学問が必要不可欠だと強く感じます。帰国してからは英語教師と女子高等師範学校の教授を兼任、それと同時に少人数制でレベルの高い教育を目指した「女子英学塾」を創設しました。
男女が対等に学ぶ機会が与えられ、社会で力を発揮できるようになってきた現代の社会は、梅子らの努力の賜物でしょう。彼女が残した津田塾大学では今も「英語教育」「少人数教育」「留学・国際教育」の3つの理念の下、女性たちが学んでいます。女性の地位向上に全力を尽くしてきた梅子が、人生を通して感じたものがこの言葉に表現されているのです。困難の壁にぶつかったときは、時には人に頼ることも大切ですが、最後は自分の力で解決できるように立ち向かっていきましょう。
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津田梅子
津田 梅子(つだ うめこ、元治元年12月03日(1864年12月31日) - 昭和4年(1929年)08月16日)は、日本の教育者。日本における女子教育の先駆者と評価される。女子英學塾(のちの津田塾大学)創立者。
(wikipediaより一部抜粋)
津田梅子のその他の格言
□環境より学ぶ意志があればいい
□何かを始めることは易しいが、それを継続することは難しい。成功させることはなお難しい。
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