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2025/03/17
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昭和期に活躍した政治家、吉田茂の言葉です。
吉田茂は、第二次世界大戦後の首相在任中にサンフランシスコ平和条約に調印し、我慢強く外交に取り組んだことで有名です。その他にも様々な功績を残した吉田茂ですが、その生涯は一体どのようなものだったのでしょうか。
東京帝国大学卒業後、外務省に入省した吉田は、外務次官や駐イタリア大使、駐英大使を務めますが、東久邇宮内閣の時代に外務大臣として入閣。大日本帝国憲法下における天皇組閣大命によって任命された、最後の総理大臣として第一次吉田内閣を組閣しました。
第三次内閣設立時には、日本の独立を話し合う講和会議に日本代表として出席しています。サンフランシスコ平和条約を締結した際には、「極東の平和と日本の安全を守る」という理由から、アメリカの駐留によって安全を保障することが定められた日米安保保障条約も同時に結びました。日本の経済復興を優先させたいとの考えから結んだと言われています。
この時、保障条約の反対派から他の全権委員たちを守るために条約調印は一人で行ったそうです。調印の責任を一人で負ったこのエピソードから、吉田の人柄と首相としての責任感が窺えますね。
政治家としては賛成意見も反対意見も浴びせられ、責任の重大さに心が折れそうになったこともあったでしょう。しかし忍耐強くいることが何かの糧になるかもしれない、と機が熟すのを待った吉田だからこそ重みのある言葉ですね。
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吉田茂
吉田 茂(よしだ しげる、1878年〈明治11年〉09月22日 - 1967年〈昭和42年〉10月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。
(wikipediaより一部抜粋)
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