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学びてのち足らざるを知る

榎本武揚(武士)

榎本武揚(武士)

幕末から明治にかけて活躍した武士である榎本武揚が遺した名言です。


旧幕府軍として戊辰戦争に参加し、新政府軍に敗北したイメージが大きいかもしれませんが、戦争以外でも彼は様々な功績を残しており、「明治最良の官僚」と呼ばれるほど実務に長けた政治家でした。


彼は開国直後に長崎海軍伝習所でオランダの機関学、科学などを学んだ後、オランダをはじめとするヨーロッパに留学し、造船所や鉱山を視察しました。しかし戊辰戦争を迎え、旧幕府軍側についた榎本らは新政府軍に降伏し、牢獄に収監されてしまいます。それでも彼は獄中で科学書や洋書を読むなど勉学に勤しみ、出所後は開拓使として資源調査を行ったほか、駐露特命全権大使として樺太千島交換条約を締結しました。


このように様々なことを学び、豊富な知識を持っていた榎本ですが、11歳で入学した昌平坂学問所での修了時の成績は最も低い「丙」でした。しかし意欲的に学び、新しい物事を体験し続けることによって当時の日本にとって欠かせない存在となりました。


学ぶことによってその先に学ぶべきものを見出し、本質をどこまでも掘り下げていくことが学びとなっていきます。この言葉は、ゴールのない学びに意欲的にチャレンジし続けることの大切さを教えてくれますね。

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榎本 武揚の画像

榎本武揚

榎本 武揚(えのもと たけあき、天保7年08月25日〈1836年10月05日〉 - 1908年〈明治41年〉10月26日)は、日本の武士(幕臣)、化学者、外交官、政治家。最終階級は海軍中将。栄典は正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川(りょうせん)。榎、釜を分解した「夏木金八」という変名も用いていた。世間では俗に「ぶよう」とも呼ばれた 。

(wikipediaより一部抜粋)

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