【競泳日本代表内定】本多 灯選手・花車 優選手 2024 年 4 月 株式会社ナガセ入社・イトマン東進所属へ
2024/04/15
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これは、明治時代から昭和時代にかけて、日本の財政家であった高橋是清の言葉です。
日本の財政面の柱となった彼の人生とはいったいどのようなものだったのでしょうか。
彼の人生の始まりは、養子に出されたり米国留学時代は手違いで奴隷にされたり、それは悲惨なものでした。帰国後は、英語教師をし、その後は農商務省の特許局長の職を辞して、ペルーで銀山開発に取り組みました。しかしこれは失敗に終わります。その時に、当時日本銀行総裁であった川田小一郎に声をかけられたことをきっかけに、財政家としての能力を発揮していくことになります。その後、1911年に総裁に就任しました。総裁を1年8か月務めた後は政界に身を投じて、総理大臣を1回、大蔵大臣を7回務めるなどの活躍をしました。しかし「二・二六事件」により、その波乱の生涯を閉じました。
「何であろうと一生懸命やれ」
シンプルでわかりやすい言葉ですね。しかし、この中には奥深い意味が隠されていると思います。高橋是清はどのような道に進んだとしても、一生懸命に走り続けていたからこそ、得たものが多くあったのではないでしょうか。そんな彼自身の経験に基づいた言葉には強
い説得力があります。また、失敗を恐れずに挑戦したことも見習うべき点です。失敗したとしても、違う策を考え、違う道に進んだという怒涛の人生のなかにも、教訓が得られそうですね。
どんなことにも正面から向き合い、悩み、考え抜いた日々は、ふと足を止めて振り返ったときに大きな糧となって返ってきます。
また、一生懸命取り組むあなたの姿はきっと、周囲に行動する勇気と感動を与えます。
物事を甘く捉えず、何事も一生懸命取り組んでいきたいものですね。
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高橋是清
高橋 是清(たかはし これきよ、1854年09月19日〈嘉永7年閏07月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉02月26日)は、明治から昭和にかけての日本の財政家、日銀総裁、政治家。
(wikipediaより一部抜粋)
高橋是清のその他の格言
□逆境も心の持ちよう一つで、これを転じて順境たらしめることもできる。
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