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2025/04/23
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明治・大正・昭和期に活躍した小説家である武者小路実篤の言葉です。武者小路実篤といえば、明治43(1910)年に志賀直哉、有島武郎らと雑誌『白樺』を創刊したことが特に有名です。『白樺』の創刊は、のちに「白樺派」という日本近代文学における大きな勢力の礎を築いたとされ、日本文学界に多大な影響をもたらしました。また、『友情』『或る男』『真理先生』など、数多くの作品を残したことでも知られています。
生涯にわたって文学活動に励んだ武者小路実篤ですが、彼は一体どのような経験からこの言葉を残したのでしょうか。
武者小路実篤は、明治18(1885)年、東京の麹町に生まれました。武者小路家は公家の血筋で、父の武者小路実世は華族(子爵)だったそうです。つまり、実篤は名家の出身だったのですね。彼は6歳の頃からおよそ15年間、とても長い期間を学習院で過ごしました。当時学習院は華族の子弟が通う学校であったため、幼い頃から華族に囲まれて育ってきたことが分かります。のちに『白樺』を共に創刊することとなる志賀直哉とは、学習院高等科時代に出会っています。
その後、学習院を卒業して東京帝国大学に進んだ武者小路実篤ですが、なんとわずか一年で中退。それから輪をかけて文学に傾倒するようになったようです。
名家の出身、華々しい経歴でありながら、文学の道では自らの実力のみで実績を残していった武者小路実篤。自分の力で道を切り拓いてきたからこそ、このような言葉を残せたのかもしれませんね。
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武者小路実篤
武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、1885年(明治18年)05月12日 - 1976年(昭和51年)04月09日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。華族の出で、トルストイに傾倒し、『白樺』創刊に参加。天衣無縫の文体で人道主義文学を創造し、「新しき村」を建設して実践運動を行った。伝記や美術論も数多い。
(wikipediaより一部抜粋)
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