【競泳日本代表内定】本多 灯選手・花車 優選手 2024 年 4 月 株式会社ナガセ入社・イトマン東進所属へ
2024/04/15
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この言葉は、小説「お目出たきひと」や戯曲「その妹」などで知られている日本を代表する作家、武者小路実篤の言葉とされています。
1885年、現在の東京都千代田区に生まれた武者小路実篤は、1910年には友人であった志賀直哉らとともに雑誌「白樺」を創刊し、以後約60年にわたって文学活動を続けていくことになります。これにちなんで、彼らは「白樺派」と呼ばれるようになり、実篤はその思想的支柱となりました。
1918年には「新しき村」を創設し、理想社会の実現に向けて、実践活動にも取り組みました。また、「白樺」では美術館建設を計画し、1936年の欧米旅行では各地の美術館を訪ねるなど、美術にも関心が深く、多くの評論を著しています。
また、自らも40歳頃から絵筆をとり、人々に親しまれている独特の画風で、多くの作品を描きました。実篤はその生涯を通じて、文学はもとより、美術、演劇、思想と幅広い分野で活動し、語り尽くせぬ業績を残したのです。
実篤は待っていても得られる幸福より、自ら努力して掴む幸福の方が多いと説いており、実篤の人生からもその思想が窺えます。
皆さんも、部活や学校行事などをやり切った際の達成感・何かを成し遂げた時の充実感に勝るものはないと思いませんか。
努力や苦労なくして多くの幸福は得られない。頭ではわかっているけれども、なかなか行動に移すことはできないのが人というものです。改めて「努力」というものの大切さを教えてくれる言葉ですね。
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武者小路実篤
武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、1885年(明治18年)05月12日 - 1976年(昭和51年)04月09日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。華族の出で、トルストイに傾倒し、『白樺』創刊に参加。天衣無縫の文体で人道主義文学を創造し、「新しき村」を建設して実践運動を行った。伝記や美術論も数多い。
(wikipediaより一部抜粋)
武者小路実篤のその他の格言
□もう一歩。いかなる時も自分は思う。もう一歩。今が一番大事なときだ。もう一歩。
□僕は運命を信じないのです。ただ実力を磨くことだけを信用しているのですよ。
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