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苦労する身は厭わねど、苦労し甲斐のあるように。

高杉晋作

高杉晋作

高杉晋作が残した言葉です。

高杉晋作の生涯はどのようなものであったのでしょうか。


1839年、長州藩士高杉丹治の長男として生まれます。1857年、19歳のときに松下村塾に入り、吉田松陰の教育を受けます。やがて久坂玄瑞とともに「村下の双璧」と称され、将来を嘱望されるようになります。


1862年、幕府の使節とともに上海に渡り、西洋列強国侵略の実情を目の当たりにしたことで、帰国後藩府に対し、公武合体策を放棄し富国強兵策の採用を進言しました。しかし藩府が不採用としたため亡命し、攘夷運動を推進する中、下関戦争が始まり馬関総奉行手元役に抜擢されます。そこで武士隊の敗北を知り、奇兵隊を創設し総監となります。奇兵隊は士農工商を問わず入隊でき、階級差別のない新しい軍隊で、これは士農工商という身分制度があった当時とても画期的なものでした。


この後、下関講和交渉の正使となりますが、藩府と意見があわず亡命します。1864年下関で諸隊を集め、翌1865年藩内部における戦いに勝利し藩府の主導権を握り、1866年第二次長州征伐戦争では全軍の総指揮官となり勝利しますが、1867年肺結核のため29歳という若さで亡くなります。


高杉晋作は自分が正しいと信じたことは、藩が相手だろうと対立して、自分の意見を貫き通してきたことが分かりますね。そしてそれがどんなに苦労するものであっても、自分が苦労し甲斐があると思えば、決して苦労を厭いません。 皆さんも日常で苦労することはあると思いますが、それは本当に苦労し甲斐のあるものですか?


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高杉晋作

高杉 晋作(たかすぎ しんさく、天保10年08月20日(1839年09月27日)- 慶應3年04月14日(1867年05月17日))は、日本の武士(長州藩士)。幕末長州藩の尊王攘夷志士として活躍。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。

(wikipediaより一部抜粋)

高杉晋作のその他の格言

□過ちを改めれば、それは過ちではないのだ。

□真の楽しみは苦しみの中にこそある。

□苦しいという言葉だけはどんなことがあっても言わないでおこうじゃないか。

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