安藤百福は、かの有名な「日清食品」の創業者です。
幼い頃に両親を亡くした百福は、呉服店を営む祖父母のもとで、商売の現場を間近に見ながら育ちました。独立心と事業意欲が旺盛だった彼は「誰もやっていない新しいことをやりたい」と考え、繊維事業に取り掛かり始めました。そして22歳の若さでメリヤスを販売する会社を設立し、大成功を収めました。
ほかにも、幻灯機の製造、炭焼き事業、バラック住宅の製造、製塩や学校の設立など、さまざまな事業を手がけました。百福の時代の流れをいち早くキャッチしすぐに事業化するベンチャー精神と、失敗してもあきらめないバイタリティーは、このころから発揮されていたのです。そして、どんな事業も「何か人の役に立つことはないか」「世の中を明るくする仕事はないか」という百福の利他精神のもとに行われていました。
終戦後、食糧難となった日本では、お腹をすかせた人々が街にあふれ、栄養失調のために行き倒れになる人が後を絶ちませんでした。この悲惨な光景を見た百福は、食の大切さを痛感します。そして食品事業に乗り出すことを決意しました。こうして設立されたのが中交総社、後の日清食品というわけです。その後彼は「チキンラーメン」や「カップヌードル」を開発、日本の食品業界に大きく貢献しました。
「わずかな可能性でも、それに挑戦しつづけている限り、人生に退屈するということはない。」
この言葉にも表れているように、百福はもとより挑戦することが好きだったように思われます。現在の日本には失敗を恐れ挑戦することを避け、また挑戦する人を嘲う風潮があるように感じられます。彼のように失敗を恐れず、何度も挑戦を続けていきましょう。
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