【競泳日本代表内定】本多 灯選手・花車 優選手 2024 年 4 月 株式会社ナガセ入社・イトマン東進所属へ
2024/04/15
カスタム検索
これは、元プロ野球選手として多くの国民に知られている野村克也の言葉です。
誰もが憧れるセンスと努力家な人柄を持ち合わせていた野村克也の人生とはどのようなものだったのでしょうか。
1954年にテスト生として峰山高校から南海ホークスに入団し、1956年からはレギュラーとなりました。その後、ロッテ、西武にも移籍しています。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍されました。引退後は、ヤクルト、阪神、シダックス、楽天で監督を務め、解説者としても人気を博していました。現役時代も引退後も、多くの人から愛された人物でした。
言葉にある「どうするか」と「どうなるか」には似ているようで大きな違いがあります。毎日の単純な作業であっても自分で「どうするか」を考えて、一つひとつの物事に意味づけをしていくことで将来「どうなるか」が見えてきます。また、ちょっとした意識を持つことで、夢や目標が明確になってきます。
「どうするか」を考えていないと、将来の見通しが立たず、ただ何も考えずに毎日を過ごしてしまいます。そこで、まずは今日の一日「どうするか」を考えることで、意識が変わってきます。少しずつ将来に対しての考え方も変わってくると思います。将来を考えることができたとき、自分の将来像もおのずと見えてくるのではないでしょうか。これは日々のこと以外でも、勉強や仕事に関しても同じようなことが言えます。少しでも広い視野を持ち、常に「どうするか」と「どうなるか」を考えて、充実した人生を送っていきたいものですね。
この格言の
コメントを書く/見る
当サイトでは、サイトの内容に関する感想や、Proverb・格言に関する心温まるエピソードを募集しております。ぜひご投稿よろしくお願いいたします。
選択してください
※必須
ペンネーム
※任意
※コメント後、反映までにお時間がかかります。
※誰かを著しく傷つけたり攻撃したりするような、コメントポリシーに反するコメントは掲載されない場合があります。詳細はこちらのお知らせをご覧ください。
閉じる
野村克也
野村 克也(のむら かつや、1935年〈昭和10年〉06月29日 ‐ 2020年〈令和2年〉02月11日)は、京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。夫人は野村沙知代。
(wikipediaより一部抜粋)
野村克也のその他の格言
□「こうしたい」という執念があれば、見て、考えて、何かが得られる。
□敵に勝つより、もっと大事なことは、常に自分をレベルアップすること。
□結果が求められるからこそプロセスが大事なのだと私は考える。
□「恥ずかしい」と感じることから進歩は始まる
□楽を求めたら、苦しみしか待っていない。
この格言の
コメントを書く/見る